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20年ぶりの会津

11月23日勤労感謝の日だが、我が家では結婚記念日であり、
 
甲府の出張の代休として今日明日連休をもらった・・・
 
そこで、雨の日ですが久しぶりにドライブしようと会津の鶴ヶ城へ行ってきた。
 

 20年ぶりだろうか・・・?
 まだ子供が小さいときの話だ。
 
 残念ながら23年3月まで天守閣の工事をやっていて、
 綺麗な城を観る事が出来なかったが、二人で懐かしく
 まわってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 場内のもみじや銀杏の葉も美しく紅葉しています。
 
 今年は、猛暑の為か紅葉が観る事が出来ませんでし たが、まさかここで観るとは・・・
 
 美しい紅葉だ!
    

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      茶室麟閣
    =会津若松市観光公社参考=
 
豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(1590)蒲生氏郷が会津に入り(42万石のち92万石)、近世的支配を確立していきました。
 氏郷は織田信長の娘婿であり、器がおおきく勇猛な武将であるうえ、この時代を代表する文化人で、特に茶道に親しみ、のち利休七哲の筆頭にあげられるほどでした。
天正19年(1591)2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんでその子、少庵を会津にかくまい、徳川家康とともに千家復興を秀吉に働きかけました。
  その結果、文禄3年(1594)と推定される「少庵召出状」が出されたのです。
 少庵は京都に帰って千家を再興し、千家茶道は一子、宗旦(そうたん)に引き継がれました。
 そののち宗左、宗室、宗守の3人の孫によって表、裏、武者小路の3千家が興され、今日の茶道隆盛の基が築かれました。 かくまわれている間、氏郷のために造ったと伝えられているのが「麟閣」であり、以来、鶴ヶ城(若松城)内で大切に使用されてきました。
 しかし、戊辰戦争で会津藩が敗れ、明治初年、鶴ヶ城が取り壊される際、石州流会津怡渓派の森川善兵衛(指月庵宗久)は貴重な茶室の失われるのを惜しみ、明治5年(1872)5月、自宅へ移築し、以来百二十年にわたり、森川家はその保全に努めてこられました。
 会津若松市では平成2年9月12日、市制90年を記念してこの氏郷少庵ゆかりの茶室を後世へ伝えるため、鶴ヶ城内の元の場所へ移築いたしました。
 

 
抹茶一席500円頂いてきました。
 
心落ち着く一席だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
会津の町中で見つけた本格珈琲店
注文してから豆をローストし、挽いてくれる。
すごく香りの良い珈琲を出してくれるお店だった。
 
ホッとした時間だ。
 
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